LIFE’S A BITCH

通学電車内の暇潰しっす

   夜十二時を少しばかり過ぎた頃、日が昇るまで片付かないと思われたほど高く積み上げられていた食器やグラスは殆ど洗われ、ロリーとマテオがそれらを照明が落ちた2階席やパーティー用のバックルームの棚に運んだ。
 俺は最後まで残った、ロブスターや蟹を茹でるための馬鹿デカい鍋を洗い始める。
 真っ黒の煤がまるで半年間掃除されていない箪笥の上に溜まった埃のように鍋の裏底を覆っている。
 壁や床を汚さないように、そっと鍋を持ち上げ積もった煤をゴミ箱の中に丁寧に落とした。
そのあと、粉末クレンザーをたっぷりとかけ、少し水で濡らした鉄束子で何度も擦った。
 手の空いたディッシュウォッシャー達はオレンジの香りがする洗剤で壁を拭いたり、牡蠣の殻やロブスターの爪で一杯になったゴミ袋をまとめ、表の通り沿いに置かれたコンテナの中に放り投げに行った。

   レストラン全ての椅子がテーブルの上に逆さに積み上げられ、床の掃き掃除とカウンターの拭き掃除を終えたウェイター達は割り切れなかった今夜のチップを賭けて、赤ワインのコルクをバケツに向かって順番に投げあっている。

 全ての食器とグラス、フォークやスプーン、ナイフを洗い、壁と床を拭き、ゴミを出し、ディッシュウォッシャーマシーンの電源を落とした俺達はゴミ用コンテナの鍵と引き換えにウェイターから一人一杯ビールを受け取った。
 タイムカードの代わりに用意された貧相なノートに自分の名前と今日の出勤時刻、終了時刻を30分水増しして順番に書き入れた。

   スペアの鍋やフライパン、海老を凍らせておくための冷凍庫に、大量の氷を蓄えた三台の製氷機。15ozや18ozの様々な大きさのグラスが入った段ボールに囲まれた、物置き兼更衣場。

 革が破れ黄色いクッションが飛び出した椅子と並んで、ガタガタの丸テーブルが一台ぽつんと置かれている。
 仕事終わりにいつもこの場所で、ディッシュウォッシャーとキッチンスタッフ数人がビールを飲んだり、ジョイントを回したりした。
 この部屋の名前は誰も知らなかった。何と呼び合っていたのかも覚えていない。だから“物置き兼更衣場”と書きようがないが、居心地の良い場所だった。
 椅子は一つしかなかったので、椅子を取れなかった者はクーラーボックスに腰を下ろしガタガタのテーブルでビールを飲んだ。

   名前と労働時間の記入を終えビールを持って“物置き兼更衣場”に行くと、一時間先に仕事を終えたキッチンのウィリアムが例のようにビールを飲んでいた。
 マテオはビールが飲めないので、貰ったビールはいつも彼に渡した。

   誰かが鞄からマリファナを取り出して、グラインダーとペーパー、それにフィルターにする為の適当な紙をセットにして俺に渡す。そしていつも俺が巻いた。
 みんなは俺が巻くジョイントが好きでそうするのか、単に巻くのが面倒だから俺に任せるのかわからなかったが、俺はジョイントを巻くのが嫌いではなかった。

   その日はマテオが鮮やかな緑色に膨らんだパケを俺に渡した。
 黒のマジックで「Pink Kush」と書かれている。インディカが強く、重たいウィードだ。

 パケを開いて匂いを嗅ぐ、黄緑色のバッヅに絡みつく黄色いヒゲ。それを煤のようなキーフが覆い、全体が粉を吹いている。
 匂いを嗅ぐだけで仕事のストレスや責任感が薄れた気がした。
 中学の頃、誰かがいつも持ってきた太い瓶に詰まった正露丸、瓶を開いて匂い嗅ぐだけで腹の痛さが少し退いた。そんな感覚に似ている気がした。

   半分ばかり千切って残りをパケに戻し、ベタベタで回りにくくなったグラインダーで丁寧に砕いた。
 OCBのペーパーを一枚広げて左端にフィルターを乗せる。グラインダーを真ん中で分解し、砕かれたふわふわのバッヅを丁寧に敷き詰める。
 詰め過ぎず、そして緩めすぎずペーパーの中で均等に緑の花穂を固めてゆく。
 ノリを舐めてくるっと巻き、巻ききれずジョイントの先から飛び出した花穂をイヤホンの先を使って丁寧に押し込んだ。

 ジョイントを4人で一周回し、二週目に差し掛かる頃、ウィリアムがいつもの韓国人に電話を掛けだした。

 ジョイントの先からは濃い煙が絶えず吐き出され、部屋の天井を白く霞ませた。

 

   10分してから黒塗のセダンに乗って一人の韓国人が現れた。歳は同じくらいで、名前はロバートか、そんなような名前だったと思う。
   韓国人は英語圏の国に出るとき、英語の名前を自分で決める人が多いと聞いたことがある。語学学校に行っていた頃、同じクラスの韓国人から聞いた。韓国語での名前は英語を話す人間にとっては少々聞き取りづらく、発音しにくいらしい。

 彼は自分の名前をライアンに決めた。兵役を終えた翌年に国を離れたと言っていた。

   ロバートか、そんな名前の韓国人が、オレンジ色のピルケースをポケットから取り出し、ザナックスを1錠5ドルでウィリアムに売った。
 ロバートかそのような名前の男はウィリアムと5分ばかり何かを話し、煙草を一本吸い終えると黒いセダンを再び走らせた。
男はひどく訛りのある英語を話した。

   ウィリアムは50ドル紙幣を男に差し出し、代わりに受け取った錠剤を一つ無言のままビールで流し込み、残りの9錠を裸で上着のポケットに突っ込んだ。
 彼は薬が効いてくるまでの間、インディカの強いマリファナを吸い、ゆっくりとビールを飲んで待った。
   ウィリアムのスマートフォンからは美しい音楽が聴こえた。彼の掛ける音楽はいつも素晴らしかった。どんな曲を掛けていたかはまるで憶えていないが、彼の掛ける音楽も、曲について彼が話す言葉も美しかった。

 

   三本目のジョイントを回し終えた頃、ウィリアムが落ちそうな瞼の奥で赤く充血した眼をゆっくりと俺に向けて、静かに言った

「やっとクスリが効いてきたぜ」

 

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